夢を現実にするために。

世田谷・目黒・渋谷で不動産投資を始めたいという方に、夢を現実にする第一歩として、役立つ情報をまとめたコラムをご用意しました。不動産投資の知識をしっかりと身に付けることで、失敗しないための工夫はいくらでも出来ます。日々変化する投資市場に対応するために、最適な資産運用の方法を常に追い続けましょう。


第2回 -逆境を“踏み台”にビジネススキルを飛躍-

フェイスネットワーク代表の蜂谷二郎が「豊かな人生とは」を切り口に、働き方やお金との付き合い方など幅広いテーマでざっくばらんに話をするラジオ番組「THE STYLE~人生を豊かにする社長のアイディア~」がラジオNIKKEIで始まった。


ビジネスやお金を起点に「豊かな人生とは」を問うラジオ番組第2回目。今回のテーマは「起業しよう。僕がフェイスネットワークをつくった理由」。前回は、フェイスネットワーク代表の蜂谷二郎が「チャレンジ精神の大切さ」を提唱した。信用金庫での融資営業時代、経験のない仕事を積極的に引き受けてきたことで、出来る仕事の幅が広がったという成功経験を明かした。今回は、蜂谷の価値観に、さらに一歩踏み込んだ内容となっている。

希少価値の高い「ビジネスマン」になりたい

東京・城南3区(世田谷区・目黒区・渋谷区)で新築1棟RCマンション投資支援事業を展開するフェイスネットワーク。蜂谷が同社を立ち上げた経緯を聞く前に、番組では「社名の由来」について触れられた。

「フェイスネットワーク」という社名には、信頼のネットワークを広げよう、という意味が込められている。

蜂谷は次のように解説した。

「私が信用金庫に勤めていたときに大事にしていた『フェイスTOフェイス』に由来しています。「対面営業」と捉えるのが一般的ですが、少し違います。お客さんは数ある金融機関の中から、信用金庫を選んだわけですから、そういう意味で、「フェイス」を「信頼(Faith)」と捉えています。そして信頼のネットワークを築き上げていきたい。お客様も社員も信頼関係を築ける人達とお仕事をしたいという願いを込めています」

フェイスネットワークを立ち上げたのは2001年、蜂谷が32歳のとき。それまでは信用金庫の融資営業マンとして目の前の仕事に向き合い続けてきた。

内田氏は「そもそもなぜ、信用金庫からキャリアをスタートさせたのか」と質問を重ねた。答えは、「一人であらゆる知識を得られるメリットに魅力を感じたから」という。

「信用金庫は、都銀や地銀よりも、一人の行員が広く深く仕事ができるからです。都銀や地銀では専門別に行員を振り分けますが、信用金庫では専門性問わず、一人であらゆるお客さんを担当します。あらゆる知識を得られるメリットに魅力を感じ、信用金庫の門戸を叩いたのです」

信用金庫は「何にでもチャレンジしたい、出来ない仕事にも貪欲に取り組みたい」という蜂谷の価値観にピタリとはまった職場だったようだ。

では、なぜ、蜂谷にとってメリットの塊であるはずの信用金庫を辞めたのか。内田氏は「(信用金庫は)社会人のスタートとしてはぴったりの職場。それなのに、信用金庫を飛び出して起業したのはなぜですか?」と踏み込む。

一つの理由が、サラリーマンとしてのある種の苦悩を感じたからだという。

蜂谷は詳しく説明する。

「信用金庫に入社した1988年はバブル真っ盛り。金利も9.3%などの時代。1100万円の定期預金に1年で100万円の利息がつく時代でした。あらゆる事業が活況で、色々なお客さんのサポートができていたのですが、まもなくバブル崩壊の憂き目にあい、あるお客さんから『おたくの銀行は大丈夫ですか?』という心配があがるようになりました。なにしろ金融機関が次々と破綻した時代です。

変化の渦中で、誰でもできる仕事しか出来ていないのだったら「自分は今の信用金庫にいなくてもいい存在ではないか」と思い至り、独立の意思が日増しに高まりました。そこで思い切って会社を飛び出してみたのです。これが起業の一つのきっかけです」

内田氏が「他にも起業のきっかけがあったということですか?」と質問を掘り下げると、「あるお客さんが、独立を後押ししてくれた」という。

「実は前々から営業のかたわら、『成功している社長の共通点』を自分なりにリサーチしていました。そんなときに、お客さんとしてアパレル店と飲食店を経営していた裏表のない社長と出会いました。裏表がないのに成功している社長が、当時の私にとっては非常に新鮮に映ったのです。

なにしろ当時の私の中には『成功している社長には、何か裏がある』といううがった見方がありましたから(笑)。しかしその社長の人柄に触れたことで、『自分もそうなりたい』と俄然やる気がわいてきました。自分の中の起業の在り方が180度変わったのです」

目標とすべき存在が見えてきたということが、起業に至る決定打となったそうだ。

各分野のエキスパートを揃えた不動産会社を設立

とはいえ、ときはバブル崩壊の不景気のどん底。あらゆる金融機関が融資を手控え、経営者や投資家の事業マインドも低下していた。このときに不動産投資の会社を立ち上げるには、環境とタイミングがあまりに不利に感じる。

内田氏は「飛び出して一から商売を始めるには、非常に不利な環境だったのでは?」と素朴な疑問を直球で投げかけた。蜂谷は「おっしゃる通り、周囲から反対を受けましたが、自分なりの信念があり、押し切りました」と思いのたけを語った。

「前職で不動産融資にかかわることが多かったのですが、かねがね『お客様目線で仕事ができる不動産業者が少ない』という違和感を覚えていました。例えば不動産投資を行うには、オーナーは不動産・金融・建設といった複数の領域をまたがなければなりません。

それなのに、当時は、各領域のエキスパートをそろえている不動産会社は僅少でした。自分自身でそういうことができたら、お客さんのためになるのに…そう考えていたのです。そんな課題を胸に秘めて、不動産会社の起業に踏み切ったのです」

不景気のどん底で起業するのに、勝算がまったくないわけではない。内田氏は「ビジネスモデルの核はすでに固めていて、その上で『やってみたい』と考えていたのですね」と理解を示した。

蜂谷は続ける。

「組織に依存せず、個人の力で生活を豊かにできる仕組みを提供したい。それを叶えられるのが、資産価値が安定している都内の土地で、かつ不労所得が得られる『不動産投資』だと思いました。ただし叶えるには、私自身、またはフェイスネットワークという会社そのものが、不動産、金融、建設のエキスパートにならなければいけません。その上で大事なのが、どう組織をつくっていくかです。それぞれロジックを掘り下げて実現しました。おかげさまで、スタート時から経営を軌道に乗せることができました」

しっかり土台を固めたからこそ、不況でも事業を拡大できたのだろう。蜂谷は「結局、オーナーさんに利益を生み出してあげるモノ・コトは存在するわけで、あとはどう組み立てて仕組みを提供するかなので、やっていることはシンプルです。その組み立て方さえわかれば、事業はうまくいくと確信していたのです」と説明した。

「今でもいろいろなご相談をいただきますが、我々の利益にならない案件でも、『先にこちらを解決すべきでは』と気になったら、まずはそこを解決してあげるというのが、最もお客さんのためになると思う」

「お客様のため」という思いは、今も一緒だ。

ラジオ番組の二回目では、蜂谷から「逆境をプラスに変える力」を魅せられた。信用金庫時代に直面したバブル崩壊をきっかけに冷静に自分を見つめ直したことが、後にフェイスネットワークが生まれる重要な転換点となった。逆境を踏み台に発想を切り替える力も、「豊かな人生」を切り開く上で欠かせないビジネススキルなのかもしれない。

「THE STYLE~人生を豊かにする社長のアイディア~」番組ホームページ